片づける前と後でどう変わったの?(前編)

「片づけで人生がときめく」

りえぞ
りえぞ

そんな大層な…

と、普通は思いますよね(笑)

なので今回は「片づける前と後でどう変わるか」を私の実体験に基づいてお伝えします!

ところで…

あなたは片づけが得意ですか?

それとも苦手ですか?

あなたは今幸せですか?

それとも不幸ですか?

私は昔、片づけが苦手でした。

というか、苦手だと思い込んでいただけかもしれません。

上の画像は、昔住んでいた実家の様子です。とはいえ私が実家を出た後の写真です。

ですが、この写真とそう変わらない環境で過ごしていたのも事実です。

では今はどうでしょう?

こんな感じです。

片づいてます。当たり前です。片づけコンサルタントですから(笑)

りえぞ
りえぞ

おしゃれな部屋ではない自覚はあるけど、そこは気にしたらあかんでー!

ただ、変わったのは家の中だけではありません。

私という人物自体が全く別の人間みたいになってしまいました。

そのことについてお伝えしたいと思います。

片づける前の私

片づける前の私はどんな感じだったのか、思い出して書いてみようと思います。

家での姿

家での姿ですが、時期を大きく分けて

・リビングで過ごしていた時期(中学生)

・自分の部屋で過ごしていた時期(高校生、大学生)

・どちらでもない部屋で過ごしていた時期(社会人)

がありました。

なぜ、こんな分け方をするかと言うと、自分の成長の過程で過ごす場所が変わったのもありますが、

家の中の片づき具合が大きく関係しています。

リビングで過ごしていた時期(中学生)

まず、リビングで過ごしていた時期です。

つまり当時はまだ、リビングで過ごせる状態だったということです。

ですが、ダイニングテーブルで食事はとっていたものの、常にテーブルの上にモノがありました。

そして平日、仕事で帰りが遅い母を待つ間、ただただテレビを見ていました。

宿題もせずに(笑)

そして塾に行ったり、ピアノを習ったりしていたので、そもそも家に居る時間も少なかったと思います。

自分の部屋で過ごしていた時期(高校生、大学生)

この頃になると、自分の部屋に籠ることが多かった気がします。

ちなみにリビングはというと、謎のコタツの置き方をしていたり、テレビの配置がおかしかったり

ちょっと良くわからない形状になっていた気がします。

この時期は、趣味の作曲を部屋に閉じこもってしていたこともありますが、

それよりも多かったのは、電気もつけずに動画を見る。あるいはゲームをする。

でしょうか(笑)

高校生の頃なんて、休みの日は予定がなければ一日中パソコンの前にいた気がします。

まぁ、そんなものかもしれません。

もちろん受験勉強とか、頑張ってた時期もありましたが基本ぐうたらでした。

音楽科志望だったので、ピアノの練習をしたり、作曲のレッスンには通って勉強しましたが

努力とか、あまりしたことなかったと思います。

宿題も、家ではほとんどした記憶がありません。

そもそも勉強は常に学校が開いていたので、遅くまで残ったり、登校したりしてやってた気がします。

少なくとも家は勉強できる環境ではありませんでした。

自室、リビングのどちらでもない部屋で過ごしていた時期(社会人)

最後に、自室、リビングのどちらでもない部屋で過ごしていた時期です。

なぜそうなったかと言えば、どちらも居場所がなかったためだと思います。

あるいはエアコンが壊れたけど業者を呼べないから放置して、エアコンのつく部屋に逃げたんだと思います。

そして私の居場所はエアコンのつく部屋の座椅子の上のみ。あとはベッドくらいです。

こうなってくると家に居る時間って減ります。

吹奏楽が趣味なので、休みの日はほとんど楽器を吹きに行っていましたし、

極力外で過ごしていたと思います。

家族との会話はほとんどありません。

必要最低限の会話はしますが、家に居ても特に会話もせず、お酒を飲みながらテレビを見るくらいです。

キャリア、人間関係

次にキャリアや人間関係についてです。

学生時代

小学生の頃はそれなりに仲のいい友だちとうまくやれていました。

とはいえやること(宿題)はほったらかして遊びに行ってました。

中学生の頃、いじめにあっていました。

不登校もしました。

高校、大学は部活や音楽に力を注ぐことができ、友だちともケンカすることはありましたが、周りは良い子ばかりでした。

楽しく過ごせたとは思います。ですが、学力とは別の所で常に劣等感を抱えてました。

大学卒業後

さて、問題はここからです。

大学を卒業後、普通は就職して働きます。

が、私は就職活動から逃げたくて、

「アルバイトを掛け持ちしながらやりたいことをする」

とかカッコいい(笑)こと言っていました。

やりたいことというのは、作曲の活動です。

そしてそのやりたいことをするのかと言えば、

ほとんどすることはなく休みの日には遊びに行くか寝ていました。

アルバイト自体も別に自分に向いているわけでも何でもない飲食店を選び、

自分ではすごく一生懸命働いていたつもりなのですが

仕事を覚えるスピードが遅かったのか、後に入った人がどんどん新しいことを教えてもらって成長評価される

そんな雰囲気を感じていました。

自分のできなさ。合わない先輩。仕事のしんどさ。

嫌になって辞めました。

給料も安く、現在の兵庫県の最低賃金(1052円)を大きく下回っていましたが、不思議なことにその点は不満がなく、

私にはこれくらいが妥当だと思っていました。

辞めた表向きの理由は実家の片づけ(詳しくは伏せていましたが)に専念するため。

確かに家の片づけは頑張っていて、「ゴミ屋敷」から「汚家」くらいのレベルになりました。

家事も頑張ってました。

ちょっとだけ家族に喜んでもらえて、穏やかに過ごしていたと思います。

ですが、半年もすると「無職」の肩書に耐えきれず、就職活動を始めました。

当時の無知な私は「事務職ってなんか良さそう!」という思い込みで、色んな所に応募し面接を受けました。

どこも不採用でした。

そんな中、母の知り合いの伝手で、とある市役所の事務補助(アルバイト)を探していると聞きました。

早速電話して面接に行き、そこで働けることになりました。

アルバイトでしたが初めてのフルタイム勤務。

しかもちょっとだけ有給がある!

それだけで感動しました。

同じ部署の正規職員さんはとても良い方ばかりでした思えばすごい感謝してもらえてた思います

ですが、別の部署のアルバイトさんと折り合いが合わず、しんどい思いもしました。

あと、しんどかったのは、仕事がない時は暇すぎて時間が経つのが遅すぎることくらいでしょうか。

ですが、これまで不規則な労働環境や生活だったことを思えば、

朝起きて夕方に帰宅するという、人間らしい生活を久々に送ることができたと思います。

とはいえ、そこは任期付きだったので次の年の3月には退職となりました。

ちなみにその頃にはまた少しずつ不用品が溢れ出してきていました。

そこからまた仕事を探しました。

たくさんの面接に落ちました。

条件で選んだ割に、条件が合わず2日でやめたアルバイトもありました。

そして極めつけは、本当にここで働きたいと思って入った(と思っていた)会社から

試用期間でクビを宣告されました。

りえぞ
りえぞ

クビとか本間にあるんや…

「コミュニケーション能力が欠けている」と言われました。

多分一生で一番つらかった時です。

1週間くらい食欲がなく、「何で生きてるんだろう」と思うこともありました。

りえぞ
りえぞ

今思えばクビにしてくれてありがとうやでー

その後しばらく無職でした。

そして立ち直った後、就職活動をしながら、家事はしていたのか、

もうあまり覚えていませんが、まだ家の中はマシな雰囲気はありました。

そして就職に難儀しつつも、何気に趣味で吹奏楽だけはしっかり楽しんでいました。

そしてその吹奏楽仲間とそのお母さんとお話しする機会があり、

「教員免許を持っているなら使えばいい」ということに気づかされました。

元々取ってはいたものの教育実習で懲りて使う気はなかった免許状でした。

そしてとある特別支援学校に配属されました。

教員としての経験

教員になるのは普通4月の新年度からがほとんどですが、病休の先生の裏で11月から入ることになりました。

まぁ色々思うことはありましたが、臨時講師なのに今までのアルバイトとの給料の差や有休がちゃんとあること、

入ってすぐだったのに賞与(少額でしたが)まであることに驚きました。

中途半端な時期からだったので、できないことも多かったのですが、できることを一生懸命やりました。

そして特別支援学校で先生方が生徒に教えていることが、なぜか私にも刺さりました。

特に

「わからないこと、困ったことがあったら相談する。」

「できたら報告をする。」

など、社会人としてできて当たり前のことが私には欠けていたことに気づきました。

「コミュニケーション力が欠けている」と言われて前職をクビにされた理由がわかりました。

そしてその「コミュニケーション能力のなさ」はその後も問題になりました。

というのも、仕事ができないのは、始めたばかりなので当たり前として

なんか馴染めない気がする…

なんか信用されてない気がする…

なんかできないやつ扱いされてる気がする…

こんな劣等感をずっと抱いていました。

また、自分の仕事に責任が足りず、色んなことをやらかしました。

今からすれば大したやらかしではないのですが、当時の私はものすごく凹みました。

転機

教員になってしばらくしてから、結婚を前提に同棲をすることになりました。

というのも、趣味だけはしっかり続けていたので、出会いはあったのです。

そして最低限のモノだけを持って、実家を出ました。

主人は当時の私からすると片づけ上手でした。

なので私の片づけられない本質は変わっていないものの、それなりに片づいた空間で過ごすことができました。

長くなってきた&書いていて悲しくなってきた(笑)ので一旦この辺にしようかと思います。

次回、後編でどのような変化があったか、お伝えしますね!

りえぞ
りえぞ

ここまで読んでくれてありがとう!

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